とあるイキリオタクのひとりごと

最終的に行き着くところはここなんやなって

7年

おはようごじゃむ

 

2011年3月11日 三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生した。

福島第一原発、第二原発の事故も巻き込み、未曾有の大災害となった。

死者は15895人 行方不明者は2539人

現在でも約73000人が避難生活を余儀なくされている。

 

その翌日のことを、皆さんは覚えているだろうか。

 

2011年3月12日 長野県と新潟県の県境付近を震源とするマグニチュード6.7の内陸型の巨大地震が発生した。

 

詳しいことはアンサイクロペディアに記載されている

あのWikipediaのパロディとして存在するアンサイクロペディアだが、このページに関してはWikipedia以上に真面目に書かれている上、ページを作成した方のメディアや当時の民主党政権に対する怒りが強く込められている。

わかり易いため是非見てほしい。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/栄村大震災

 

世間では3月11日は東日本大震災において亡くなられた方々に思いを馳せ、黙祷を捧げる日となっている。

では3月12日はどうか。まず、地震が起きた時刻すら把握している人は少ないんじゃないかと思う。

午前3時59分、おじいちゃんおばあちゃんと新聞配達員、夜勤の人がギリギリ起きているレベルで、世間ではまだ寝ている時間と言われている。

 

3月11日に死者に対して黙祷を捧げるようなツイート、投稿をした著名人の何割が、3月12日も同様に死者に対して黙祷を捧げるのだろうか。

 

風化させてはいけない、してはいけないという議論が出ているうちは、風化はしばらくしない。

風化しそうな自然災害というのは、話題にすらならない。こういうような日になってもニュース番組においては、特集や目玉ニュースのあとに何本か連続で流すような1、2分程度のニュースで済ませてしまう。

 

私はもちろん12日に震災が起きた長野県栄村や新潟県津南町出身でなければ、その地域在住でもなく、その地域に赴いたこともおそらく一度もない。

ただ、このように11日にさんざん黙祷だの「私はあの震災の時は、、」だの、「生きてることって大切だな」だの言ってた面々が、12日になるといきなり「月曜か、仕事したくねぇな」と言い出す現状を地元の方々が見てしまうと、悲しい以外の何物でもないだろう。

 

お前さんざんいいこと言ってたけどそれだけかよ

 

そう思ってしまう。

 

東日本大震災、栄村大震災が起きてから7年が経過した。この7年間、多くの自然災害も存在した。

広島豪雨、熊本地震御嶽山噴火、、

 

私が名前を挙げていないもの、名前すらつけられてもらえないために忘れ去られているものは数多く存在している。

その都度被災者を悼めだの、目を向けろだのとは言わない。

 

ただ、日本史の資料集の巻末の年表に載るような「過去」にすることくらいは出来るんじゃないかな。

 

以上です。